2021年02月25日

【長文】若者達に向けて、、間も無く咲く桜🌸と共に!

今日はこのブログをお読み頂いている多くの若者や、マノワに入ってくる、新人に向けて僕なりのメッセージを投稿します。

GReeeeNのビリーヴの曲を聴く度にいろいろ考えさせられます。中村です!

このGReeeeNの歌の歌詞の様に、楽しみながら生きていかなきゃな?って大袈裟にも最近よく思います。

僕にとっての後悔は諦めた時
悔しさ 涙も あの日々も 胸に連れてくんだ
まだなんにも始まっちゃいない 自分で決めた道
だから少し 楽しんでこう 始まりの声がする

別に特別な力があるわけじゃない
諦めないって決めただけ それを信じてんだ

どれだけ続くか分からない自分が決めた道
あと少し もう少し 今を超えたくて

GReeeeN ビリーヴの歌詞より


マノワには、今日現在、10人のスタッフが働いており、来月には、中途採用で1人、4月には更に辻調理師専門学校の卒業生が2人入ります。

お客様は、満席で16人しか入らない小さなレストランマノワに、スタッフが13人!フランスに行っても、今やそんなレストランは珍しいと思います。

点と点の繋がり


点と点の繋がりは予測出来ません。
あとで振り返って、点の繋がりに気付くのです。
今やっている事がどこかに繋がる、、、
あなたの根性、運命、業、なんでも構いません。
その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いてても、自信を持って歩き通せる。
それが、人生に違いもたらします。


って言う、伝説のスピーチをご存じでしょうか?中村です。

https://m.youtube.com/watch?v=RWsFs6yTiGQ
もしご覧になった事が無い様でしたら、是非上からポチッとどうぞ!

このスピーチは、スティーブ ジョブズさんが、とある大学の卒業式に、生徒達に送った、あまりにも有名なスピーチです。当時、このスピーチを聞いた時とっても感動した事を今でも思い出します、、、、、、、

あれから何年もの月日が経ち、僕も、マノワをオープンして、節目の10年目に入り、たくさんの出会いと別れを繰り返して来ました。


ずっと僕は、ジビエを使って、、、、

 持続的に、携わる全ての方々が幸せになる環境をマノワから始めたい!

そう考え、1mmもブレる事無く、猪突猛進して来ました。

誰もが大変だった2020年!

貧乏人の僕は、2020年こそチャンスの年だったと考え、多くの事にチャレンジし、行動して来ました。

多くの方々のおかげで、マノワは2021年11月15日に、10周年になります。

僕がマノワをオープンした、2011年!

何があったか?覚えてますか?

そう、東日本大震災です!あれから10年経ちます。当時高校生だった麻衣も今は2◯歳になります。

2011年、本当のお話し貯金も無かった僕が、このレストランマノワをオープンし、現在に至るのですが、その中でたくさんの方々と出会いそして、多くの常連様に助けて頂き、10年目の今日を迎えております。

2011年に僕は自分に誓いました。

10年で世の中を変えようと!

大きな事言ってますが、多くの方々の支えがあって、それに向かって、日々邁進して今日があります。

そして、コロナの時代の2020年!

誰もが今迄の生き方に立ち止まって、多くの自分を見つめ直す時間があった様に思います。

自分にとって何が大切か?

っで、2021年マノワで何するか?ですが、、、、

僕は、マノワと言う、16席しか無い小さなフランス料理店でかつ、何のバックも無い、資金力の無い小さな会社でも、世の中を動かす事が出来ると言う証明をしたいと考えております。

それは、、、

ずーっと良い続けてますが、たくさんの方々の幸せが持続化的に還元する世界を作る事!

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その1つに、捨てられているジビエを使って、最近のトレンド語で言うと、サスティナブルな世界を作るという事。それは、山梨県芦安村で育った僕の宿務の様にいつからか?感じております。

ですから、既に多くの自治体様との協力の元、ふるさと納税事業と、その自治体のジビエを使って、、、、

マノワって言うお店が東京にある事で、そのブランド力を使ってサスティナブルな世界を作らせて頂いております。

 良く聞くサスティナブルと一緒にされたく無いんですが、僕がずっと言っている、、法律の関係で、そもそも捨てられている食材のジビエを使って作るサスティナブルの世界と、CMのサスティナブルぶるぶる問題とは全く別次元の話しになります。

 捨てられている食材であるジビエを使って、サスティナブルな世界を作る

って事は、日本の多くの方々が、今、考えている事の遥か先の話しだと、僕は、日本の現状を考えるとそう思っております。

https://manoir-restaurant.jp/gibire/
ふるさと納税事業はこちらからどーぞ!

2021年北海道森町でマノワでジビエの解体場を作る予定です!

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 実は、常連様のご好意で、去年の1月に2400坪弱の土地を北海道森町に取得し、この土地を使って僕が森町に、もっと大きい事言うと世界に何が恩返し出来るか?を真剣に考えてました。

もう東京でフランス料理店を経営しているのだけでは先が無く、簡単に言うと、、、、、

 今迄と同じ経営をしているだけでは前には進めず、だからと言って、単純に同じ経営のお店を多店舗経営してもお店を永く続ける事は総合的に考えて、不可能な時代に入ったと感じております。

 簡単に言うと【自分自分】で生きている時代じゃ無いんだと僕は考えております。

 コロナは残酷にも飲食店業界の中に、大きな線引きをしたと僕は気付いており、この大きな線引きに気付かない飲食店は、緊急事態宣言明けても売り上げは下がり続けると僕は考えております。

 2つの飲食店に大きく別れると考えており、それは、、、、

 人間を必要とするか?しないか?です!

僕らフランス料理店は前者に大半は当てはまると思いますが、今の時代そうでないレストランが多くなってきました。そもそも、フランス料理って言うカテゴリーは間も無く終わると僕は考えております。

 現場に立たず、飲食店でお金儲けをするのであれば後者しか無いのですが、僕は後者になれるとは思っておりませんし、マノワはそーなっちゃダメだと思っております(笑)

 食べる事に携わる事は、ここが一つの点であり、スタートラインになる気がしております。

 ここからが僕の人生のスタートなのかな?って感じております。

 食べる事は文化だと僕は考えているからです

っで、この自社の北海道森町の土地を使って、ずーーっと、ハンティング下手くそな僕に愛想尽かさず、ご指導頂いているM師匠がお住まいの、森町に恩返しをさせて頂き、、、、

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僕の生い立ちの元、全ての、今迄のジビエの世界を、僕が超えて行きたいって、暖炉の火を見ると不思議と自分に素直になれるもんです(笑)

全ては、僕が僕である為にですが、その全てが僕ら世代の先の世代、、、

そう、僕の息子達の世代迄、当たり前の様に食べる事の重要性だったり、価値だったり、、、

そこで出会う人間関係だったりが自分の生き方の大半を占めると言う事を知って貰いたいと願う今日この頃です。

少なくとも、僕は、僕の両親から、、、、

食べる事の大切さ

を学びました。

2020年多くの事が変わりましたよね?

その中で、自分の心が変わった方々は、その行動すべき未来が示されたんだと僕は烏滸がましくも思います。

自分が生きている価値ってなんだろう?って、2020年みんな思いませんでした?

少なくとも、そう思っている僕はその全てを超えて生きたいと思っております。

マノワのスタッフにはよく話してますが、、、

【無理です!】

そう言っている奴には、その通り、一生無理です。

 だって、その限界を自分で決めてるんだから。そんなスタッフはマノワには必要ありません。

だって、その【無理】って誰が決めた無理でしょう?

その全ての【無理】を超えていけるチャンスが、2020年訪れたんだと僕は思います。

 その全てが2020年にはあり、その先を目指して僕は生きて行きたいと思います。

 ちなみにジビエで世界を変えられたら次は、、、

海の問題も僕なりに世界を変えたいと本気で考えております。



僕がガキンチョの頃からブログをお読み頂き、 僕の人生をご存じの方も、多いと思いますが、、、、

幼少期、山梨県の芦安村と言う田舎に育ち、父親が、ハンティングをしていた影響や、、、、、

フランスのディボンヌと言う、ジュラ地方の田舎の村のレストランで料理をやってた頃、厨房の裏口から、ハンターがリエーヴルを始めとするジビエを持って来て、散々羽毟りから、捌きをやり、、、、、

東京に戻って来て、父親から、銃を譲り受けて、必然的に、ハンティングを始め、、、、、点と点が繋がり、、、、

このハンティングから、その後、多くの方と出会い、マノワのオープンに繋がり、、、、

その点がいつの間にか、自分の人生に大きな線を引いて来ました。

もう、42歳になりましたが、正直、まだまだ、寝る時間を削ってでも、やりたい事が多過ぎて、時間が足りません(笑)

不思議とマノワには、常に、信頼の置ける、最高な仲間達が集まる様に思います。

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飲食業界どこにいっても、人手不足で、とくに、飲食の中でも特殊な位置にある、フランス料理業界は永遠の人手不足です。

マノワには、今日現在、10人のスタッフが働いており、来月には、中途採用で1人、4月には更に辻調理師専門学校の新卒が2人入ります。

お客様は、満席で16人しか入らない小さなレストランに、スタッフが13人!フランスに行っても、今やそんなレストランは珍しいと思います。

僕の事を知っている方なら、お分かりになると思いますが、僕はスタッフを分け隔て無く、良く怒ります(笑)

23歳の頃から、フランス料理店の責任者をやって来て、人の上にたって、仕事をして来ました。未熟な僕のせいで多くのスタッフが辞めていきました。

そりゃー怒らず、楽しく、和気あいあいとやった方が楽しいし、、、、、

言っても分かんない奴は、話す事すら、しない方が楽です。

その昔、一緒に働いていた憧れだった先輩に、、、、、

【若い時は、先輩達に、いつも理不尽に常に怒られて、先輩達は楽している様に思っていても、自分が真剣に働いていれば、人の上にたった時に、その先輩の気持ちが分かるよ!そして、経営者になった時に、さらに大変さが分かるよ!】

って言われたのを、最近良く思い出します。何も知らない下っ端時代に、先輩やオーナーの悪口を言っていたのが、今思えば、とっても楽だった様に思います。

その憧れだった先輩が、【サービスは最高のアナログ】って言っていた事が、今では良く分かります。いつか、名刺の肩書きに、ギャルソンって僕も書ける様になろうと思います。

素晴らしいレストランは、 お店のスタッフ全員が同じ方向を向いていないと、満席が続くレストランは出来ないという事を、今迄働いてきたお店での経験上感じております。

また、結果として僕が働いて来たレストランは、僕がいた時期は必ず満席でした。

良いレストランには、素晴らしい空気が流れ、素晴らしいスタッフと素晴らしい料理、ワイン、素晴らしいお客様が集まり、みんなに愛されるレストランになると思います。

そんな、みんなに愛されるレストランを作るのは、とても大変な事だと、毎日痛感させられております。

そんな、みんなに愛されるレストランを、これからも目指して行こうと思いますし、自分の子供には、教養はもちろん大切だと思いますが、それ以上に感受性の豊かな子供に育って貰いたいと、勝手ながら思います。

1つの点がいつか繋がり、大きな線になり、その繋がりが、人生に様々な出会いをもたらせてくれる。

これからも、人としてもっと、もっと大きな点を作れる様に、様々な事にチャレンジしていきたいと思います。

ブログによく書く、ハンティングは、、、、、、

僕にとって10年目の猟期が、2月15日で終猟しました。

「10年もハンティングやっていると、もうベテランだろう?」

などと、狩猟の事を知らない人から尋ねられたりしましたが、まだまだヒヨッコであることは自分が重々分かっています。

マノワの定休日は、基本的に、月曜日で、基本的に休みの月曜日しか出猟できません。また、今年はコロナ禍の為、不要不急の外出を避けていた事もあり、北海道以外ではハンティングを自粛しておりました。

それに対して、ハンティングを教えていただいている、ベテランハンターの方々は、キャリアが30〜40年以上ある上に、定年退職などで「さぁ、気兼ねなく山を駆け回るぞ!」と、毎日のように出猟されている方々ばかりなのです。

僕の方が年齢的に体力はあると言えど、経験値は低いし、差は開く一方と言えます。

それに毎日のように、狩猟犬と出猟されている、先輩ハンターの方々の方が体力もありそうだし・・・(笑)。

猟期の休みの日は、ほぼすべて出猟。

ゆっくりと休む暇もなく、平日は仕事をし、家の用事は片付けられないまま山積(妻には申し訳無く思っております。)

そのうち息子が大きくなったら、【おじちゃんまた来てね!】って言われる様になるんじゃないか?と思います(笑)

同じ年頃の人々が、ネオン煌びやかな夜の繁華街に繰り出して行くのを横目に、たまに光の浴びる山に行ったかと思えば、汗と泥と血にまみれる生活。

一般の方から見ると不可解な事なのかもしれません。

しかし「それで幸せなの?」と聞かれれば、胸を張って、、、、、

「幸せです!」と答えます。

だって42歳になって、こんなに夢中になれることが、まだまだたくさんあって、世代を超えたたくさんの仲間達がいる事が、かけがえの無い、贅沢の様に思います。

それにもう一つ「良かった」と思うことがあります。

先に述べたように、42歳で、10年経験しただけなんて、ハンターとしてヒヨッコです。

また、フランス料理の世界では、20歳に代官山のラブレーの、山田さんに拾って貰ってから、東京のフランス料理店のみの、サービスをやって来て、22年になります。

世間一般では「高齢者」と言われるような方々が、バリバリと現役で山を駆け回り、たくさんの知恵と経験を授けていただけます。

また、ラブレーの山田さん始め、フランス料理業界の先輩や、仲間達から、毎日刺激を貰っています。

そして、20歳の頃から、フランス料理店にお越し頂いている、お客様には、息子の様に可愛がって頂いている方も多くいらっしゃり、、、、、、

今ではもう飲めないワインや、フランス料理を、惜しげも無く20歳の頃から勉強させて頂きました。

「人間力」という言葉が自然と浮かんできます。

僕達が、社会生活を暮らす上で、触れ合う数人の「肩書き」というものなんかに頼り切って、威張り散らしている人たち。

この人たち、「肩書き」というものがなくなったらどうなるんだろう?

山を歩き、野生動物と対峙し、先達から教えを乞う。
そんな事をしていると生命体としての、自分の小ささや弱さを考えずにはいられません。

経営者になっても、気持ちは、「一兵卒として頑張ろう!」って思います。

毎年、新人が入って来る4月!また新しい4月を迎えます、、、、、、

フランス料理の仕事やってて良かった!って感じる、今日この頃です。

最後に、、、、、

このブログを読んで頂いている、多くの新人達や専門学校生に、、、、

僕は、山梨県の田舎から、高校を卒業して、東京の国立にある、辻調理師専門学校に行き、その後、辻調理師専門学校のフランス校に行き、代官山のラブレーに就職し、フランス料理界に入りました。

マノワにも来月から、中途採用が1人、4月からは、辻調理師専門学校の卒業生が2人入社致します。

今は、未来に向けて、夢いっぱい持って、やる気に満ちて、就職するはずです。

しかしながら、厳しいお話、あなた方が、思い描いている、世界はそんなに甘い世界ではありません。たまたま、マノワでは、スタッフが長続きしておりますが、、、、、

ゴールデンウィークまでに、同じフランス料理業界に入った、半分の同期が辞めていきます。

もちろん、僕らフランス料理業界だけに、限った事ではありませんが、現実のお話しです。

新しい環境に入って、生活も変わり、毎日、先輩に怒られ、帰ったら、寝るだけ!いつの日か、入社時に思い描いていた、夢や希望を、自分に都合の良い方向に解釈し、最終的には、違う世界に行く若者も少なくありません。

マノワでは、辞めたいって言うスタッフを止めはしません。若ければ、若いほど、無限の未来の可能性がありますし、大学を受けて、違う職業に就いた方が、未来で幸せになっているかも?しれません。

お世辞抜きにして、辻調理師専門学校の授業費はすこぶる高いです。僕は3人兄弟なのですが、公立の大学を卒業した、兄弟より、授業費は高かったと思います。

辻調理師専門学校に通っていた当初から、フランスには行きたかったので、八王子の方にある有名和食店の、3人部屋の寮に入り、昼間は学校、夜は和食店、休みの日も和食店で働き、辻調の学費を少しづつ両親に返還してました(全く足りませんが、、、)

その後行ったフランス校は、今振り返っても、天国の様な環境でしたが、東京に戻って来て入ったフランス料理業界では、何度も辞めようと思ったもんです。

ただ、僕の場合、フランス料理を目指す上で、高校時代から、自分で決めた目標がありました。

【30歳までに、自分の実力で、東京でフランス料理店を独立する】

と言う事でした。何のコネも無ければ、両親がお金持ちでも無く、ただ、この目標に向けて誰にも負けない自信だけしかありませんでした。

辞めたいって思うたびに、この目標と、辻調理師専門学校の学費を出してくれた両親の顔が常に思い浮かびました。

1人暮らしを始めて、冷蔵庫の中の食材は、誰かが買わないと入って無いんだな?って言う当たり前の事から、親への感謝の気持ちを感じるはずです。

僕は今だに、両親に辻調時代の学費を、ちょっとづつ、返還してますが、フランス料理の仕事をして、自分で稼いだお金で、辻調の学費を払う事が、いかに大変か、そのうち気がつくでしょう!

僕は、代官山のラブレーの山田さんに初めに言われた言葉があります。

【山本有三の路傍の石にもある様に、石の上にも3年だぞ!】と言う事!

先程もお話しましたが、1番初めに入ったお店で、少なくとも3年続かないと、この業界では続けて行けないと思います。まして、ゴールデンウィークまでも続かないのであれば、親に謝って、違う職業を探した方が良いと思います。

また、3年続いても、また、違う壁にぶつかります。その辺の話はまた今度話すとして、、、、

自分が入社時に思い描いていた、未来を忘れずに、常に人材不足のフランス料理業界を盛り上げて行って欲しいと思います。

東京には、田舎にいるより、若いうちには、とくに、多くの点が落ちています。ただ、その点に気付けるのは、自分自身の人間力次第だと思います。

新人の皆さんには、今、この時点がであり、この点はいつか大きな点に繋がると思います。

長文ご愛読頂き、ありがとうございました。

これからも、レストラン マノワを、末永く宜しくお願い致します。

っあ、ちなみに、マノワでは、常にやる気のあるスタッフを募集しております(笑)いつでも、やる気のある、未来に輝ける若者たちに出会える事を生きがいに今日も東京・広尾のちっちゃいレストランでサービスやってます。

おわり!
posted by マノワ at 15:38| 僕の生き方のお話し! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月18日

99,33%の陰性率!僕が僕であるために!

最近、自分より年下の子と会話してますか?

ちなみに、昨日から僕は呪術廻戦読み始めました(しかしながら、普通にあの環境で指食べます?50m3秒じゃあ走れないでしょ?)

コロナで無くなった、会話って言う距離感!

誰かも言ってましたが、コロナってすげーって思います。

僕はずーーーと言ってますが、食事って言う必要不可欠な人間の行動を、根本から考えさせられる事の、、、、

距離感!

東京では、個食なーんて言う言葉が当たり前になる位、食べる事における価値観が変わって来たとずーっと感じて来ましたが、このコロナで、それが決定的になったと僕は思います。

僕は、僕の両親から、食べる事の幸せを多く学びました。

僕はこのフランス料理って言う飲食業界で20年以上働いておりますが、ずっと思っている事があります。

それは、、、、、

間も無く人間は、、、、

食べる時間の大切さ、幸せさを感じなくなる、、、、

というか?それ以前に、食べる事が幸せだと想いもしない世代になると考えております。

少なくとも、僕は、食事を通してたくさんの方々と出会い、自分の見聞を広げ、成長してきました。

しかしながら、食べる事は、100歳まで生きる為?130歳まで生きる為?生きる為の栄養補給だと両親から聞いた事は一回も無かったと思います。

でも、今の時代、他人と食べる事を放棄して、サプリメント飲んで、稼いだお金は、ゲ○ムの課金に使い、現実の世界では、携帯電話の通話料金も払えず、、、、、、

でもLINEでの通話は無料で、LINE電話のみ繋がるスタッフ!

そんな奴がマノワでも、現れ始めました。

毎日、お客様から数万円お支払い頂き、生きている僕らフランス料理店でも、働いている者は、カップラーメン食って、コンビニ弁当食って、プライベートではワインなんか飲まない奴の方が多くなった気がしております。

 それでも100歳まで生きられる日本って凄いなあって最近思います。

そもそも、幸せって何なんでしょう?

僕は近い未来に、食べる事を放棄して、サプリメント飲んで120歳まで生きる日本人が多く存在すると勝手に考えております。

【まだ、無駄な時間使って、食事なんかしているから、100歳も生きられないんですよ?】

って間も無く若者スタッフに言われるんじゃないか?って気さえしております。


それが正解かどーかなんて、今は誰にも分からないし、、、、

そもそも、正解なんて無いと僕は考えております。

そもそも、緊急事態宣言中にあまり発言するのは辞めようと思い、本来なら毎年年末か?年始にいろいろぶっちゃけてブログ書くんですが、、、、

もちろん、今年も書いてましたが、公開するのを辞め削除しました(笑)

とは言え、僕は僕であるので、久しぶりにブログ真面目に書きます。


そもそも、1月に入って急に緊急事態宣言?

20時閉店?

東京感染者2000人超え?

そんな中、僕は定期的に行っている事があります。

新型コロナウイルスの抗体検査です(ネット上で1500円位で購入可能です、しかも陰性の場合の判定率は、99,33%だそうです)


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多くの方々に、敏感な問題で、いろいろ言われるのは分かってますし、現にFBで上げたら、想像以上に数秒でたくさんのメッセージを頂いたので、直ぐに削除しましたが、、、、

確かに、PCR検査と違い、抗体検査って、2週間位前の陰性の話しなので、今はどーなの?って言われれば、違うのは、100も僕は分かってます。今回初めてブログに上げたのは、12月中はクリスマス期間始め、多くの方々に会う事があったので、お会いした方々にとってどーか?って思ったからです。

 だからこそ、マノワでは定期的に抗体検査をし、スタッフにも、家賃補助を出す条件の1つに、自転車で通勤出来る範囲とお願いしております。

 いろいろなメッセージが来るんで言いますが、僕ら飲食店で働いている人間が、味覚障害になったらどーします?

最近ではPCR検査もだいぶ安くなりましたが、今も尚、多くの方々にとって、気軽に出来る検査では無いと思います。

また僕にとって、陽性を証明するPCR検査より、陰性を証明する事の方が意味があるんです。

ちなみに僕はストレスから、26歳の頃、四十肩で右肩が上がらなくなり、醤油を一気飲み出来る程味覚障害になった事があります。その後、直ぐに治りましたが、味覚障害になった時は、流石に飲食業界は辞めようと考えました。

フランス料理店で多くの方々に毎日サービスしている僕は、今、僕が出来る事は全力で取り組んで行きたいと常に考えております。

しかしながら、先日サイゼリヤの方もおっしゃってましたが、、、、

ふざけんな!

って思う事は多々あります。でもそれにどーこー言っても僕は政治家じゃ無いし、、、、

正直な話し、マノワ位の小さな飲食店にとっては、今回の協力金は本当に凄いと思いますし、政治家の方々には非常に感謝してます。

ちなみに、様々な意見があるのは当然ですが、補償金じゃなくて、協力金ですからね?

現実問題、、、、

東京の街は20時以降、僕が住んでいるテリトリーは、震災時を思い出す位真っ暗です。

逆にそれだけ東京が逼迫している状況にあるんだと考えております。

しかしながら、今日の東京の感染者って何人でしたっけ?

全ての諸悪の根源は飲食店の様な報道が毎日されてますが、緊急事態宣言から、2週間経って、感染者数が減らなかったら、今度は、休業要請しますか?それで、感染者数が減らなかったら、僕ら飲食業界ってどうなりますか?

飲食する事で幸せを感じている僕ら世代以上の方々から、その幸せを奪いますか?

その権限って誰にあるんでしょうか?

そう思っている方は、今年の9月選挙行きましょう(笑)


相変わらず話しはズレますが、、、、

  • 今日元サッカー日本代表の内田篤人さんが、フジテレビ「ワイドナショー」に出演し、昨年の大みそかにプロボクシングWBO世界スーパーフライ級王座戦で2度目の防衛に成功した日本人男子唯一の4階級制覇王者・井岡一翔さんが、試合中に左腕のタトゥーを露出していたことについて賛否の声が出ていることに私見を述べましたが、、、、

  •  海外チームで長く活躍していた内田さんは、、、、

    「僕のチームは30人前後でしたけど、タトゥーしてないのは2、3人。僕の中では違和感はないんですけど」

     と前置きしたうえで、、、

     「日本ってタトゥーって良くないかっていうのがある。反社につながる感じとか、それが分かってるのに、入れるなら、そうやって言われるのもしょうがない。それが分かってるなら入れてもしょうがないけど、言い返すのは良くないなと思う」と指摘され、、、

     「本当に必要なら生まれてくるときに入ってる。タトゥーはいらないんじゃないですか?」と持論を展開しました。

     和食や寿司屋は坊主じゃなきゃ行けないとも思いませんし、飲食業界でもタトゥー入ってちゃダメとも思いませんが、少なくとも僕は、20年以上東京のフランス料理業界のみで働いて来ましたが、フランス料理店で、タトゥーが入っている、日本人の従業員はどーか?と思いますし、事実、過去にマノワに入って来た、バイトにタトゥーが入っていた奴がいましたが、僕がお金を出すから、タトゥーを除去してマノワを続けるか?辞めるか?選択させて、その後辞めて貰った事がありました。

     俳優の石原良純さんは、「インバウンドで外国人が来た時に、温泉施設とかに外国人をどう扱うか、いろいろ考えるところに来たのかな?」と、ルールの変更も考える時期に来ていると指摘すると、内田氏は「タトゥーしている人が増えないと、ルールは変わらない。今、あーだこーだと言えないですよね?」と、現時点でのルール改定に否定的な見解を示してました。

     生きて行く上で、自分にとって、何が大切なのか?民主主義であるから、多数決で変わるのかも知れませんが、今はまだそうだと思いませんし、少なくとも、僕はこれからも僕が僕である為に生きて行きたいと考えております。

    初めて聞いたのは、中学生だったかなぁ?その歌い声とメッセージが強く心の奥に残っているのを今も思い出します。


    歌:尾崎豊
    作詞:尾崎豊
    作曲:尾崎豊

    心すれちがう悲しい生き様にため息もらしていた

    だけど この目に映る この街で僕はずっと生きてゆかなければ

    人を傷つける事に目を伏せるけど優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

    僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

    正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

    僕は街にのまれて 少し心許しながら

    この冷たい街の風に歌い続けてる


    最近CMでイケメンが歌っているのを見て改めていろいろ考えさせられました。

    僕が僕であるために、、、

    コロナの時代で誰でも多くの時間があり、自分にとって、大切な物は何なのか?正しい事は何なのか?守るべき事は何なのか?考えたはずです。

     諸悪の根源である、僕ら飲食業界に、それでも来て下さる多くの常連様は何で来てくれるのか?

     そんな常連様に僕らスタッフは全力で何が出来るのか?

     もっと言うならば、このコロナの後生き残った飲食業界は、世界に何が出来るのか?僕は今日も寝ないで真剣に考えてます。

     まー本当のこと言うと、そんなかっこいい事じゃなくて、ただ単に常連様と一緒に生きて生きたいと願っているだけなんです。

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  • そうそう忘れてましたが、僕1月2日が誕生日だったんです。家族は長い付き合いなので、いつもシカトされてますが、最近ではスタッフも酷いもんで、唯一お客様だけが優しいです(笑)

    スタッフには冗談抜きで、普通に、【ふざけんな!】って吐き捨てられる位です。

     50代の同業者には分かん無いと思いますが、僕も最近では、【仏の中村】になったもんです(笑)

     Iさん今回もありがとうございました。今年はジャックセロスを皆んなで飲ませて頂きました。

     最近ジャックセロスをそんなに有り難がって飲まなくなったのですが、最新のデゴルジュのジャックセロスは美味かったです。

     世の中まだまだ知らない事ばかりだなあって思いました。

    終わり!

posted by マノワ at 22:31| 僕の生き方のお話し! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月17日

有り余る北海道への愛情を込めて!

そうそう、おかげさまでずっと忙しくさせていただいております。

なーんって言い訳してたら、FB見ている常連様から様々な突っ込みを貰っているので、少し時間が空きましたので、ブログ書きます。

北海道のブログが中途半端になってましたが、ここ数ヶ月間、毎月北海道に行っております。それは、北海道白糠町とのふるさと納税事業を始めた事ももちろんありますが、その先の未来を僕は目指して2020年ずっと動いております。

https://manoir-restaurant.jp/gibire/

マノワのふるさと納税はこちらからお願い致します。

誰もが大変だった2020年!

貧乏人の僕は、2020年こそチャンスの年だと考えております。多くを書くと反対する方々もいらっしゃるので、書きませんが、、、、

多くの方々のおかげさまで、マノワは来年11月15日に、10周年になります。

僕がマノワをオープンした、2011年!

何があったか?覚えてますか?

そう、東日本大震災です!あれから10年経ちます。当時高校生だった麻衣も今は2◯歳になります。

2011年、本当のお話し貯金も無かった僕が、このレストランマノワをオープンし、現在に至るのですが、その中でたくさんの方々と出会いそして、多くの常連様に助けて頂き、10年目の今日を迎えております。

2011年に僕は自分に誓いました。

10年で世の中を変えようと!

大きな事言ってますが、多くの方々の支えがあって、それに向かって、日々邁進して今日があります。

そして、コロナの時代の2020年!

誰もが今迄の生き方に立ち止まって、多くの自分を見つめ直す時間があった様に思います。

最近マクドナルドのマックナゲットのCM見てるといろいろ考えますよね?(僕だけですか?)

っで、2021年マノワで何するか?ですが、、、、

僕は、マノワと言う、16席しか無い小さなフランス料理店でかつ、何のバックも無い、資金力の無い小さな会社でも、世の中を動かす事が出来ると言う証明をしたいと考えております。

それは、、、

ずーっと良い続けてますが、たくさんの方々の幸せが持続化的に還元する世界を作る事!

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その1つに、捨てられているジビエを使って、最近のトレンド語で言うと、サスティナブルな世界を作るという事。それは、山梨県芦安村で育った僕の宿務の様にいつからか?感じております。

ですから、既に多くの自治体様との協力の元、ふるさと納税事業と、その自治体のジビエを使って、、、、

マノワって言うお店が東京にある事で、そのブランド力を使ってサスティナブルな世界を作らせて頂いております。

2021年北海道森町でマノワでジビエの解体場を作る予定です!

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 実は、常連様のご好意で、今年の1月に2400坪寂の土地を北海道森町に取得し、この土地を使って僕が森町に、もっと大きい事言うと世界に何が恩返し出来るか?を真剣に考えてました。

もう東京でフランス料理店を経営しているのでは先が無く、簡単に言うと、、、、

 【自分自分】で生きている時代じゃ無いんだと僕は考えております。

多くの方々にはその意味だったり、その価値は分かり兼ねると思いますが、ここからが僕の人生のスタートなのかな?って感じております。

っで、この自社の北海道森町の土地を使って、ずーーっと、ハンティング下手くそな僕に愛想尽かさず、ご指導頂いているM師匠がお住まいの、森町に恩返しをさせて頂き、、、、

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僕の生い立ちの元、全ての、今迄のジビエの世界を、僕が超えて行きたいって、暖炉の火を見ると不思議と自分に素直になれるもんです(笑)

そして、、、、

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多分(笑)来年、この場所、北海道函館で、、、、

ついにワインを作ります🍷

その詳細は今後またブログで書きますが、当然ながら、そんな資金が僕にはある訳も無いので、来春皆々様にご協力をお願いしたいと考えております。その時は温かくご支援ご鞭撻お願い致します。

全ては、僕が僕である為にですが、その全てが僕ら世代の先の世代、、、

そう、僕の息子達の世代迄、当たり前の様に食べる事の重要性だったり、価値だったり、、、

そこで出会う人間関係だったりが自分の生き方の大半を占めると言う事を知って貰いたいと願う今日この頃です。

僕はずーっと常連様に言ってますが、僕らフランス料理店ですら、冷凍食品が当たり前の様に循環する今日に、その価値が、どーのこーの言うつもりは1ミリも無いですが、、、、

いつか?僕の息子に彼女が出来て、フランス料理店に行った時に、、、、

 【その彼女の為に、今日はジュブレィシャンベルタンにしようか?シャンボールミュジニィにしようか?】

って、選択が出来る未来を作って行きたいって思うんです。

正直言って、もう数年後には、多くの方々は、食べる事を放棄して、ビタミン剤飲んでる人間が120歳まで生きられ、仮想世界で課金している世界にいんるんじゃ無いか?って危惧しております。

少なくとも、僕は、僕の両親から、、、、

食べる事の大切さ

を学びました。

2020年多くの事が変わりましたよね?

その中で、自分の心が変わった方々は、その行動すべき未来が示されたんだと僕は烏滸がましくも思います。

自分が生きている価値ってなんだろう?って、2020年みんな思いませんでした?

少なくとも、そう思っている僕はその全てを超えて生きたいと思っております。

マノワのスタッフにはよく話してますが、、、

【無理です!】

そう言っている奴には、その通り、一生無理です。

 だって、その限界を自分で決めてるんだから。そんなスタッフはマノワには必要ありません。

だって、その【無理】って誰が決めた無理でしょう?

その全ての【無理】を超えていけるチャンスが、2020年訪れたんだと僕は思います。

 その全てが2020年にはあり、その先を目指して僕は生きて行きたいと思います。

終わり!
posted by マノワ at 14:15| 僕の生き方のお話し! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月15日

桃栗三年柿八年、達磨は九年で俺は一生!マノワは今日、9周年を迎えました。

桃栗三年柿八年


このことわざは、果樹を植えたら、食べられる実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、、、、

何事も成就するまでに、それ相応の年月がかかるということをあらわしています。

ほかにも努力することの大切さを表した、勤勉に働いた人は三年で一人前、少しだけ努力した人は八年で一人前、普通の人は九年で一人前、努力しない人は十八年かかっても一人前になれないという意味もあるそうです。

すぐに結果を求めたがる人に対して、まずは地道な努力が大切であると言い聞かせる場合などに使われます。

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ご報告が遅れてしまいましたが、、、、、

11月15日でレストランマノワは9周年を迎えました。

毎年恒例ですが、R子さんとN坂さんにお送り頂くマグナムのシャンパーニュで乾杯させて頂きました。

そーなんです!やっと柿が実る年月になりました。


9年の間に、リピートしてくださる素敵なお客様も増え、月日と共にお店の成長を感じる今日この頃です。

2020年コロナ禍の大変な時代に、あえて、2店舗目のマノワラボを東京世田谷区に作り、、、、

16席しか無い東京広尾のレストランマノワには、現在11人のスタッフが働いております。

世界中の3つ星レストランですら、お客様の数とスタッフの数の比率はこうはなれないと思います。

スタッフの成長は当たり前のことですが、、、、、

僕は、良いお店の雰囲気をつくる一番の要素は、主役であるお客様であると思っております。

素敵なお客様に囲まれて毎日充実した日々を送れていることに感謝しております。


9周年の当日は、特に告知していなかったのにもかかわらず、たくさんのお祝いのお品や、お言葉を、たくさんの方々から頂戴致しました。

このブログを読んで下さる、全ての方々、また、スマホや、このブログを見てない、ずーと昔から、僕を子供のように育てて下さった、僕にとっては、東京のお母さん達、お父さん達、、、、!

本当にありがとうございます!

そして、これからも末永くよろしくお願い申し上げます。


改めて、数え切れない数々の方々に支えられて、今日を生きていると本当に思います!

改めて感謝申し上げます!

最近では、自分より若い世代がほとんどで、面接をする時、、、、

【何故飲食業を目指したんですか?】

って言う質問を多々される事があるので、その辺も含めて、たまには真面目に、今日はブログを書きます!

山梨県にお住まいの方は、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、僕は男ばっかりの3兄弟の次男なのですが、幼少期山梨県の芦安村って言う、人口300人に満たない、過疎地で高校生まで育ちました!

登山をやられる方はご存知かもしれませんが、日本で富士山の次に標高の高い山北岳があるのが、僕の実家のある芦安村なんです。また、当時父親はその北岳の山小屋を経営しておりました。

今はいろいろな街が合併して、山梨県南アルプス市芦安っていう場所になっております。

中学校まではその、芦安村の中にあるのですが、1学年7人という環境で、中学校の全校生徒で、20人くらい、小学校の6学年でも30人くらいしかおらず、日本の中ではトップクラスの小さなコミュニティの中で生きておりました!

そんな、幼少期の頃から、僕の両親はもっと【大きな世界を見なさい】と常々僕ら3兄弟に言っておりました!

当時、そんな小さな世界で育った僕は、そんな両親の話には全く耳を傾けず、反抗期もあり、特に、父親とは、取っ組み合いの喧嘩って言うか、テレビを親父に投げて、次の日にはサハラ砂漠しか映らなくなったり、、、、

田舎では必需品の灯油ストーブを蹴ったり、400ccのバイクを改造しまくって、山々にこだまするくらい爆音で走り回ったりと、両親にとって決して良い息子では無かった様に思います。

僕は男ばっかの3兄弟の真ん中なのですが、兄貴はとっても優秀で、その次男の僕はとっても問題児だったと、今でこそ自覚しております(笑)

20歳の頃、僕はモナコに住んでいて、料理人をやっていたんですが、住ませていただモナコの家では、何故か?日本のNHKが映り、そのテレビで見た、【団子3兄弟】の歌の歌詞を使うと、、、、

【自分が一番次男】だったので、、、、、、

今もそのままなのですが(笑)とても胸を張って良い息子でした!って言える人生は歩んで無かった様に思います!

僕が高校を卒業して、東京に出て行ったら、田舎の方々から芦安村が静かになったって言われたもんです(笑)

そんな田舎時代、母親が専業主婦だった事もあり、夕食は毎日母親の手料理で育って来ました。ただ、家族5人だけで、夕食を食べた事はほとんどなく、近所のおじさんや、おばちゃん達が必ず、一緒に夕食を食べるという、大家族のような毎日を過ごしておりました。

なので、うちの母親は毎日10人前くらいの夕食を用意しておりました(笑)そんな、大人たちと一緒に食事をすると、子供ながらに、大人と一緒に会話をしたくなり、小さな頃からおしゃべりな、こんな僕の性格が出来上がった様に思います!

フランスに住んだり、アジアのいろいろな国行ったりと、今まで世界中いろいろな場所に行きましたが、例え言語が通じなくても何とか生きていける気がするのも、こーいった家庭環境があったからだと思います!

しかも、今まで、誰と喋っても緊張したことが無いのも、こーんな幼少期があったからだと思います!

飲食の世界に入った事も、自然の流れなのか?、、、、

父親が非常に食にはうるさく、田舎なので家の裏には大きな畑があり、自給自足とまでは行きませんが、家族で食べる野菜なんかは大抵育てていたように思います!

子供時代、ほぼ100%母親の手料理だったので、高校生になって、バイクの免許をとって、自分でバイトして、1番初めに食べたかったのは、毎日CMで流れている、当時390円だった、ガストの目玉焼きハンバーグでした(笑)

そのくらい、化学調味料とかには無縁な食生活を高校生まで過ごしておりました。これが、いかに贅沢な事だったか、今では本当に感謝しておりますが、当時は周りの友達達の家庭が、ファミレスにいくのを羨ましく思っておりました。

そーんな、山の中に住んでいたもので、幼い頃は父親と共に、春には山菜獲り、夏には毛針を作ってイワナ釣り、秋にはキノコ狩り、冬には鹿などの狩猟っていう感じで自然と共に生きておりました!

今はこーして、東京のど真ん中で過ごしておりますが、僕の中のルーツはそんな芦安村にあるんだと思っております!

小さな頃、ご飯粒1粒残しても父親に怒られるような食生活を送っていた僕も、この、東京っていう、形あるものと、形ないものに溢れ、時間の流れの速さや物の価値観が全く違う環境で毎日を送っていて、大切な何かを忘れそうになることもありますが、これからも、自分を見失わないよう、日々努力して行きたいと強く思います!

新しい事に常にチャレンジし、新しい人との出会いが何よりの、自分の成長に繋がる事だと、心より思います!これからも、小さな男にならないよう、いろいろな事にチャレンジして行きたいと思います!

数え切れない、大切な方々の助けがあって、レストラン マノワは9年を迎えることが出来ました。これからも、スタッフ一同、さらに良い空気感を求めて、良いレストランを作って行きたいと思います!

ちなみに、桃栗三年柿八年には、続きがあります!地域などによって、さまざまなパターンがありますが、、、、

その一例としては、「梨の馬鹿目が十八年」「柚子は大馬鹿十八年」「林檎にこにこ二十五年」 「梅は酸い酸い十三年」など。

さらに、果物ではない表現が続くパターンもあるそうで、、、、、

「女房の不作は六十年」「亭主の不作はこれまた一生 」というものもあります。

人間が一人前になるまでを表しているそうで、女房は60年でやっと一人前になり、亭主は一生成長途中だなんて、なんとも考えさせられます。


武者小路実篤は、著書『武者小路実篤詩集』の中にある詩のなかで、、、、

「桃栗三年柿八年、達磨は九年で俺は一生」と表現しました。

僕も、マノワも、自分自身が実るには一生かかり、生涯修行だと思います。

先はとても長い道のりになるかもしれませんが、まずは種を撒き続ける事が大切なんだと思います。

8年で柿が実る様に、マノワも昨年からふるさと納税事業をはじめ、少しでも、1次産業の方々や、地方自治体に還元出来る様に行動して参りました。

昨日は北海道の釧路新聞にも取り上げられて、、、、

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今マノワが出来る事を最大限に取り組んでおります。

僕は、マノワをオープンした時に、10年で必ず達成する目標を掲げておりました。それは、、、、

皆んなの幸せが持続化出来る環境をマノワから始める

という事。そう、捨てられているジビエを使って、、、、

@マノワがそのジビエを買い取る事によって、田舎のハンターの収益の向上

A@により、田舎の農作物被害の減少並びに、地元ハンターのやる気の向上

Bマノワのお客様には、ロース肉やフィレ肉等の部位を低価格で提供する事によって満足度の向上と、ジビエを食べるのであれば、マノワと思って頂く事のブランドイメージの向上

CB以外のジビエの部位を使い、テリーヌやソーセージ等の加工品を、マノワラボで制作し、レストランでの提供並びに、全国の自治体のふるさと納税の返礼品として、お客様にお届けする事で、地方自治体の年金や社会保障の一端を担い地方自治体の財源を支える

DCによって、地元ハンターの持続化的なやりがいを維持する


よくウィンウィンなんて言葉がありますが、マノワの取り組みは、余裕でウィンウィンの関係を超えていると僕は考えております。

口先だけのサスティナブルって言う言葉が、世の中では先行してますが、ジビエを使って、本当の意味でのサスティナブルの世界を作ろうと、口だけでは無く、僕は9年前から寝ないで取り組んで参りました。

2020年コロナの影響で、ずーっと寝ないで走り続けていた僕にも時間が出来、、、、

僕が僕であるために、何をすべきか?が真っ直ぐ見えた気がしております。

その答えを10年目に、全ての法律をクリアして、必ず、今と言う現実を超えて行きます。

何をするか?と言うと、、、、

今年のはじめに、常連様から、北海道の森町に約2400坪位の土地を譲り受けました。

この土地を使って、来年マノワでジビエの解体場を作り、10年前僕が描いていた、、、、

ジビエを使ったサスティナブルの世界を、北海道森町の皆様とマノワで作り上げます。

そんな事出来る、東京のフランス料理店は先にも後にもマノワしか無いと思います。

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https://manoir-restaurant.jp/gibire/

マノワのふるさと納税事業はこちらからお願い致します。


ちょっと話し変えますね?

つい先日、僕の両親に、iPhoneをプレゼントしたんです(笑)そーしたら、最近このブログだったり、僕のFacebookだったり、先日僕がふるさと納税の関係で出ていた、ニュースeveryだったり、ZIPだったり、スッキリの番組を良く見てるんです。

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そんな母親から、先日こんなLINEが届きました(笑)


見ました、豪志ならではの、生き方、あえて、出る釘になれ、と育てたものの嬉しさもあり、贅沢ですが、心配はいつも付きまといます。でも見守っています🌈

僕も人の親ですが、親っていつまでも親なんだと思い、また、そんな両親で良かったと改めて感じる今日この頃です!


東京広尾で、レストラン マノワと言うフランス料理店を続けている意味を考え、これからも、僕らしく生きて行きたいと思います。

マノワは、美味しく楽しいフランス料理店の先を見据えて、マノワに関わる全ての方々の人生に彩りを与えられる様、未来に向けてこれからも進んで生きたいと考えております。


今日からマノワは10年目に入ります。あの頃思い描いていた未来に立っているのか?と毎日、自問自答してますが、、、

来年には必ず結果を出し、僕は更に、その先の世界に入って行きたいと思います。

全ては、、、、

マノワにかかわる全ての方々が、持続化的に幸せが続く世界を作って生きたいと考えております。

まー大きな事言ってますが、本当は、僕は多くの常連様と一緒に歳を重ねて生きたいな?って単純に思っているだけなんです(笑)

10年目のマノワも、そしてこれからも末永くよろしくお願い申し上げます。

「桃栗三年柿八年、達磨は九年で俺は一生」

僕は一生、僕なんだと思います。

終わり!
posted by マノワ at 13:53| 僕の生き方のお話し! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月01日

北海道、蝦夷鹿ハンティングの巻!

マノワのホームページ改ざん事件等、色々な方々のご意見があるのは重々分かってますが、、、、、、

僕は、人生が劇的に変わる出会いと瞬間ってあると思うんです。不思議と僕にはそれが良く起きるんです。

それがまた、今日だったかも?知れません。

今日はタイトル通り蝦夷鹿を仕留めた画像が出て来ますので、苦手な方は見ないでください。







北海道の大自然の中、みんなで早起きして、みんなで山の中走り回って、でっかい蝦夷鹿仕留めて、、、、

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自分達で解体場で解体して、真空して、クロネコで10箱分、レストランマノワへ!

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 先日も仕留めた鴨とM師匠の最高の蝦夷鹿肉を送っていたので、いつの間にか、森町のクロネコの店員さんと仲良しに(笑)


今や、ジビエの、鹿肉やいのしし肉、鴨肉まで、普通に業者様から仕入れる事が容易な時代になりましたが、あえて全ての工程を自分で行う!

自分で現地に行ってハンティングする事業者様から仕入れるジビエの違いってなんでしょう?

それは、ひとえに、僕らサービス人がお客様にお皿を運ぶ時の想いです(笑)

それは、お金では表せない無い付加価値なんです。それが、人間力であり、フランス料理の醍醐味なんです。

正直言って、ジビエもきのこも自分で仕留める事は、東京でロース肉、フィレ肉、天然きのこだけを注文しているレストランより、遥かに時間と経費がかかります。

先日、農水省に行ってお話しさせて頂きましたが、駆除目的で仕留められ、大半が捨てられて、行き場の無い、このジビエを使って、、、、

素捨てられている多くの命を世界に還元し、、、、

 多くの方々の幸せが、持続的に還元出来る世界を作って行きたいと僕は本気で考え、行動しております。

結果が全てだと言うのは、僕が1番分かっております。

 来年には、その1つの答えを、この駒ヶ岳を見る度に毎度思うのですが、、、、

 必ず出します。

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今、社会のブームの様に、サスティナブルって言う言葉が巷には溢れてますが、本当の意味での、持続化可能で、みんなが幸せになれる世界を、先ずはジビエを使って、来年には結果を出します。

ちなみに、ジビエで1つの山を超えたら、次の世界、そして、その次の世界迄考えており、既に行動しております。その辺のお話しは、ジビエで結果出したらお話し致します。

もちろん、賛否両論ありますが、レストランマノワで多くのジビエ料理を皆様に提供する者として、とっても大切な事だと僕は考えております。

何故なら、、、、

僕1人では何も出来無い事を僕が1番知っているからです。

バーカ!って言われれば、そう、馬鹿なんだと思います(笑)

だって、ハンティングは下手ですし、運転しないで助手席に座ると、30秒で車酔いします(笑)

そんな僕をハンティングの仲間として受け入れて頂いている多くの先輩方に心より感謝致します。

今回のハンティングも、M師匠はじめ、U親分、O先生、Yシェフありがとうございました。

そして、森町の皆々様、いつか必ず森町に恩返し出来る様、努力してまいります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。
posted by マノワ at 15:11| 僕の生き方のお話し! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする