2020年02月21日

2月24日、25日連休頂きます。そして、僕の人生を左右する位(笑)ゲームやアニメから学んだ事!

2月24日、25日連休頂きます。

今度の月曜日、火曜日連休頂きます。っで、ハンティングのシーズンが終わり、ゆっくり温泉にでも行きたいと思ってるんですが、僕の人生そんなにゆっくり出来ず、、、

初日は朝早くに鹿児島に飛びます。その後車で移動して、福岡県糸島市まで行って来ます。今回はスタッフの青木を連れて行きます。目的はそう、今までお世話になって来たハンターさんへの挨拶巡り、並びに、将来のマノワの道を造る為です。

武藤さんブログ見てたら、24日の夜福岡で飲みましょう(笑)

っで、これだけだとつまんないブログなので、以下全く関係無い、ちょっとヲタッキーなブログをたまには、、、、

いつも僕のブログを読んで頂いている世代には全く分からないと思いますが、、、、、

ちなみに僕こー見えて、ゲームもアニメも、漫画も、映画も寝る間を惜しんで楽しんでます(笑)そこに出て来るさりげないセリフや登場人物の行動にハッと考えさせられる事が良くあります。その中から、考えせられたシーンを、、、ほとんどの方々が興味無いと思いますので飛ばしてください(笑)僕の気持ちを代弁してくださる方の意見を少しお借りします!

さて、ここに「ファイナルファンタジーII」というゲームがあります。

「ファイナルファンタジー」(以下FF)というシリーズには、同じ国民的RPGである「ドラゴンクエスト」シリーズとは異なり、「シリーズタイトルごとにゲームの中核的なシステムがめっちゃ変わる」という特徴があります。(ここからはFFに興味無い方は飛ばしてください!)(最後に良い事書いてるんでそこまではスクロールしてください!)


例えば3にはジョブシステムと魔法使用回数があり、4ではいきなりジョブ固定、メンバー入れ替えありのMP制に戻りました。5でまたメンバー入れ替えほぼなしのジョブシステムが戻ってきたと思ったら、6ではジョブシステム自体が消滅し、ある程度自由にメンバー入れ替えができる上、魔石システムやら何やら山ほどの新機軸が入ってきました。


7ではマテリアとアビリティ、8ではジャンクション、9で一度SFC時代に戻してからの10でのスフィア盤やら、システムにせよ世界観にせよ、タイトルごとの変動がめちゃ大きいんですよ。このへん、根幹のシステムが一作ごとにはあまり大きく変動しない、いわば「足し算の続編」が多いドラクエのシリーズと対照的なところだと思います。


そんな流れを一つ決定付けたのが「II」だった、とは言っていいでしょう。「Wizardry」的な要素を多く取り入れ、RPGとしては比較的スタンダードに仕上げてきたように見える「I」に対し、「II」の様々な新機軸の質量は、当時のファミっ子たちの度肝を抜くほどのものでした。


レベル制の完全撤廃。戦闘での行動によって上がったり下がったりするステータス。熟練度システム。顔グラフィックがあるキャラクターたちに、しっかりと会話とドラマがあるストーリー。用語を記憶して他人に尋ねるシステム。


パーティアタックでHPを上げまくれば楽勝かと思いきや実はそれは完全にワナで、盾熟練度をしっかり上げて回避率を高めておかないと後半のダンジョンで詰みかねなかったり。


魔法のレベルもきちんと上げておかないといつまでも弱いままだったり。


フィールド上のどこでもセーブができる上に、徒歩で行ける範囲がすごく広く、やろうと思えば最序盤から中盤以降の街に行くことができたり。


キャプテンを倒してアイテムを稼ぐためにミンウをひたすら酷使したり。


ヒルダに誘惑されて「……ゴクッ……」となったと思ったらラミアクィーンだったり。


ミンウが命を賭して手に入れた究極魔法の威力が非常に微妙だったり。(リメイク版でちょっと救済されたが、それでも手間に手間を積み重ねないと結局最後まで微妙だった)


まあ早い話、「めっちゃ新機軸が多くて、当時はすげー物珍しかったし面白かった」という話なんです。

正味な話、「II」ってFFシリーズ全体で見ても一、二を争うくらいとがったシステムなんじゃないでしょうか? 成長システムなんてFFっていうよりは後のサガシリーズっぽいですし、アドベンチャーっぽい会話システムもありますし。シリーズの2作目でいきなりああも変化球をブチ込んでくるの、正直結構すごいと思うんですよ。


「I」が普通に面白い出来だっただけに、あそこまで根本的に変えてくるというのは相当冒険だったんじゃないかと思うのですが、根本的な変化を恐れないのが当時のスクウェアであり、FFというシリーズだった、ということでもあるのでしょう。


●とてつもなく重かった「シドの死」


さて。


ちょっと話は変わるのですが、RPGにおける「キャラクターの死」というものについて考えてみます。


ゲームでも漫画でも小説でも、味方であれ敵であれ、「キャラクターの死」というのは非常に大きな出来事です。キャラクターの死は、登場キャラクターにも読者にも大きな衝撃をもたらして、時には悲しみを、時には憤りを、時には感動を受け手に提供します。物騒な話ではありますが、キャラクターの死というものをどう扱うか、というのは、創作者の一つの腕の見せ所でもあります。


で、さすがにもう「FFII」のネタバレをそこまで気にする必要もなかろうと思うので言ってしまいますと、「II」って本当に重要なキャラクターがめっちゃ死ぬんですよ。スコットも、ヨーゼフも、フィン王もミンウも、リチャードも本当に死んじゃうし、死んだらもう一切ゲーム中に再登場しないんです。


なにせまだまだハードスペックも低ければ容量も足りない時代ですから、各キャラがこの世を去るときのシーン自体は、現在のゲームとはくらべものにならないくらいあっさり味です。大抵のキャラは、ちょっと演出があった後、セリフでいうとほんの一言、二言のメッセージの後にあっさり退場。キャラクターのグラフィックがぱっと消えるか、あっさりと場面転換する。本当にそれだけ。


けれど、重かった。


その「死」というものは、シンプルであっさりしていただけに、むしろとてつもなく重かったんです。


「FFII」には、一人、後のFFシリーズの代表的なキャラとなる人物が初めて登場します。


その人物の名前は、「シド」。そう、後々歴代FFに重要キャラとして登場し続けることになる、ある意味FFシリーズの顔であるシドの、初登場作品がこのゲームだったんです。飛空船を使って輸送屋のような商売をしているシドは、この作品では白髪のシブいおじさんという風体でして、中盤まで主人公のフリオニール一行は、彼と、彼が人生を賭けて開発した飛空船に何度も助けられることになります。


しかし、彼も、物語中のあるタイミングで皇帝が作り上げた「たつまき」に巻き込まれ、落命することになります。この時彼が最後に残したセリフが、重い。本当に重い。


「おれは こんなざまだが ひくうせんはむきずだ! おれが うごけるようになるまで おまえたちにかしてやる。いいか かすだけだぞ!! だいじにつかえ……」


「貸すだけ」。「やる」でもなく「託す」でもなく、「貸す」だけ、というのをわざわざ強調してるんです。


彼、このセリフの時点で既に虫の息で、この直後に息を引き取るわけなんですよ。つまり、貸してもらった飛空船を返すことなんて永遠にできないんです。プレイヤーたちは、文字通りシドの人生全てが詰まった飛空船を「貸し与えられて」皇帝との決戦に挑むわけなんです。


もうね、たつまき後の重苦しい雰囲気でこんなセリフ読まされて、泣くしかありませんでしたよ当時。


ほんの一言のメッセージ。そしてこの後、フリオニールの「しっかりしろ!」という言葉を受けながら、ただただ画面上から消えるだけ。


こんなにもあっさりとした死なのに、プレイヤーの肩には、たった一言だけでシドのこれまでの人生全てが圧し掛かってくるんです。重すぎる。こんなもんもう、何がなんでも皇帝倒さないわけにいかないやんけ。


僕の中では、このほんの一言が、「FFII」というゲームの「最大の存在感があるセリフ」なんです。


このゲーム、単に街の通行人のセリフでも「みんなしんじゃったー」とか言われますからね。なんだそのあっさり感、そしてあっさり感の裏のとてつもない重さは。


「FFII」って、FFシリーズでも数少ない「ガチの国家間戦争」がメインテーマになっているタイトルなんですよね。演出的には単なるスペック不足によるものかもしれないんですが、人一人が本当にあっさりと死んで、けれどその裏にはちゃんとその人の人生があって、戦争の中ではあっさりと通り過ぎるだけの死であっても、それは決して軽く扱えるものじゃないんだ、と。

そこには、今の現代の世界情勢と比べてしまう僕がいます!


●ハードのスペックが低かったからこその「死の重さ」


ぼくは、「レイズやザオリクがある世界で、キャラクターの死に説得力を出すためにはどうするのか」っていう方法論が幾つかあると思っていまして。


つまり、「キャラクターの死」についてうっかりした描写をしてしまうと、「そこで何でベホマやザオリク使わないの……?」とプレイヤーに思われてしまって、せっかくの「キャラクターの死」という荘厳で重要なシーンの衝撃が薄れてしまう。そこをどうフォローするべきなのか、という話ですよね。


これ、方法論としては多分幾つかパターンがあると思っていまして、キャラクターの死亡って即ネタバレになるんであんまり細かいこと書きにくいんですが、


【設定で対処する方法】


「復活魔法は単に戦闘不能状態を治すだけ」とか、「老衰や、重すぎる負傷による死は復活魔法では助けられない」みたいな設定を、暗黙に、あるいは明文的に仕込んでおいて、プレイヤーに納得させるパターンですね。ネタバレ防止の為に細かいことは避けますが、FF5なんかこのパターンだったと思います。


【演出で対処する方法】


例えばそもそも崖から転落してしまったために復活魔法を使いようがなかったとか、すぐに(物語上)死体が消失してしまったとか。そういう、「そもそも使いようがない」という形でプレイヤーを納得させるパターンです。たまたま回復魔法を使えるキャラがその場にいなかった、主人公たちがいない場面で死んでしまった、みたいなパターンもありました。


【勢いで流す方法】


多少の突っ込みの余地は甘受して、例えばキャラクターの死があってから長い演出があったり熱いセリフ展開があったりして、「あれここで回復魔法使わないのん……?」みたいな疑問を無理やり感動で押し流して上書きするパターン。正直割と多いような気がしています。


とまあこの辺が代表的なパターンだと思うんです。


ただ、考えてみるとこういう方法論の必要性って、「ハードのスペックが上がって、キャラクターがリアルに動くなるように従って必要になってきた」対処法であるような気がしているんですよね。なまじ見た目がリアルで生き生きとしているだけに、どうしても細かい点が気になる部分も出てきてしまう。だからつじつま合わせの必要が発生する。ゲームの進化に伴って、必然的に必要になってきてしまったつじつま合わせなんです。


そういう意味では、「FFII」における「キャラクターの死」の強烈な説得力は、ハードのスペックが低く、キャラクターの死があっさり味で、問答無用で場面から退場してしまうからこそ発生していた、ある意味奇跡的な説得力なんじゃないか、と。


この「あっさり感による説得力」は、ある点では「Wizardry」におけるキャラクターの消失(ロスト)とも通じています。2回の復活失敗に伴い表示される、「〇〇はまいそうされます」という、ほんの一行。ただの一行。それだけで、自分が数十時間、数百時間をつぎ込んできたキャラクターが永遠にゲームからいなくなる。


すばらしい演出、十分な情報量でしっかりとした物語を描けるようになった。けれど、それができるようになるまでは、あっさりとした描写をするほかなくって、逆にそのために生まれた説得力もあった。


別に「あの環境に戻りたい」なんてことはこれっぽっちも考えていないんですが、そういうことを時には振り返ってみるのも何かしら意味があるんじゃないかなー、と。


そんな風に考えているわけなんです。

何故?こんなブログを書いたのか?それは、僕ら世代の経営者(40代)が、従業員(20代)の気持ちや考え方が理解出来ない事が多いんです。僕の歳になると、従業員の親が僕より年下なーんて言うスタッフも出て来る訳なんです(マジの話です)

先日スタッフに、、、、、

【モチベーションが上がらないのと、フランス料理業界に向いて無いと思ったんで、辞めさせてください!】

っと、20歳の辻調のフランス校から帰って来たスタッフに言われ、いろいろ考えちゃった訳です!人間とは会話しなくても、毎日ゲームと漫画は欠かさ無いんです。

まー昨日、真樹が、JTのCMみたいなブログを書いたので、少し昔を思い出して見ました。見てない方には是非見て貰いたいので貼っておきます(笑)

https://www.jti.co.jp/corporate/tvcm/kigyou54-60.html
どちらかと言えばーー♫嫌いなやつーー♪本当ならば、仲良くならないーーー♫♪

 なーのに!なーーのに!なーのに!なーーのに♫♪♫

そーなんですよね?真樹も歳をサバ読んでいた、こーへーも、去年新卒でマノワ入社し、1年しっかりマノワで働き、新しい4月を迎えます!

僕ら業界で1番大切な事は、才能では無くて、、、、

理不尽で不条理な事がたくさんの世の中で、辞めない事、信じられる仲間を作る事、自分を諦めない事、だと思うんです。

それが1番大事♫♪(そんな歌ありましたよね?)

そんな時に自分の近くにいる同世代との関係って、一生続くんだと思うんです!

僕もブルギ◯オン時代に一緒に働いた同世代とその後も切磋琢磨し、今でも何でも言い合える関係になった事が、後々1番大事でかけがえの無い大切な事だと気付かされております。

僕もそうですが、そのフランス料理って言う仕事を選んだのは自分であり、親に多額のお金をお支払いして貰い、フランス校まで行って、フランスに1年住んでフランスの文化に触れて帰って来て20歳!

アイドルじゃ無いんだから、モチベーションの話しは置いて置いて、その仕事に、向いてる?向いて無い?なーんて言う理由でこの世界から消えて行くのはどーなのか?って、ファミコン世代の僕は思っちゃうんです。でも、そんな彼の気持ちは止めはしません。

だって、若ければ若い方が未来の可能性は無限に開いていると思うからです。ただ、今日は書きませんが、本質はそこでは無い事を僕は良く知っています。

「FFII」の時に学んだ、辞めてしまったら、もうこの業界で一線で戻る事は難しい、、、、、

ゼルダの様に何度死んでも諦めない心!
を僕は多くのゲームやアニメから学んだ様に思います。

下を向くなよ
瞳が曇れば魂が陰る。
それは未来を閉ざし、生きる意味を見失うという事だ。
己の正しきに従う時、下を向いて行う者にどれほどの事ができる。
顔を上げ、前を向き、手を伸ばせ。
私は一緒に過ごした者たちのことを、つまらぬ敵とは思いたくないのでな。

 子供の頃って、男も女も無く、本音で接しられていた瞬間が誰にもあると3歳の息子を見てて思うんです!

 リゼロの名言から

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好きな事をしている時の笑顔って誰にもあったはずです!

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でもいつからか?みんな大人になるんでしょうね?でも僕はこれからもあの時の気持ちを忘れない大人になりたいと日々思うんです!

最近では、鬼滅の刃を課題図書として読まないといけない!と思っております(笑)誰か全19巻貸してください!

終わり!

posted by マノワ at 00:44| 僕の生き方のお話し! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする