2017年04月02日

点と点の繋がり!

点と点の繋がりは予測出来ません。
あとで振り返って、点の繋がりに気付くのです。
今やっている事がどこかに繋がる、、、
あなたの根性、運命、業、なんでも構いません。
その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いてても、自信を持って歩き通せる。
それが、人生に違いもたらします。


って言う、伝説のスピーチをご存じでしょうか?中村です。

https://m.youtube.com/watch?v=RWsFs6yTiGQ
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このスピーチは、スティーブ ジョブズさんが、とある大学の卒業式に、生徒達に送った、あまりにも有名なスピーチです。当時、このスピーチを聞いた時とっても感動した事を今でも思い出します、、、、、、、

あれから何年もの月日が経ち、僕も、マノワをオープンして6年目に入り、たくさんの出会いと別れを繰り返して来ました。

僕がガキンチョの頃からブログをお読み頂き、 僕の人生をご存じの方も、多いと思いますが、、、、

幼少期、山梨県の芦安村と言う田舎に育ち、父親が、ハンティングをしていた影響や、、、、、

フランスのディボンヌと言う、ジュラ地方の田舎の村のレストランで料理をやってた頃、厨房の裏口から、ハンターがリエーヴルを始めとするジビエを持って来て、散々羽毟りから、捌きをやり、、、、、

東京に戻って来て、父親から、銃を譲り受けて、必然的に、ハンティングを始め、、、、、点と点が繋がり、、、、

このハンティングから、その後、多くの方と出会い、マノワのオープンに繋がり、、、、

そして、先日の休みに、今度は、、、、、、

一級船舶免許に無事に合格しました。

この点もいつか、自分の人生に大きな線を引くんじゃ無いか?と期待しております。

もう、38歳になりましたが、正直、まだまだ、寝る時間を削ってでも、やりたい事が多過ぎて、時間が足りません(笑)

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4年間マノワで、料理長を務めておりました、武藤が実家のある福岡に帰り、武藤の元で、スーシェフを務め、マノワで4年目を迎えた、笹川がシェフになる。

そして、麻衣も4年目を迎え、さやかも2年目に入り、そして、明日から、ピッチピチの19歳の女の子が、マノワに入って来ます。

忘れてましたが(笑)放浪していた、青木も、マノワに戻って来ました。青木とは、銀座時代からの付き合いになるので、12年くらいの付き合いになります。

不思議とマノワには、常に、信頼の置ける、最高な仲間達が集まる様に思います。

飲食業界どこにいっても、人手不足で、とくに、飲食の中でも特殊な位置にある、フランス料理業界は永遠の人手不足です。

マノワには、今日現在、8人のスタッフが働いております。

お客様は、満席で16人しか入らない小さなレストランに、スタッフが8人!2人のお客様に対して、1人のスタッフが対応している事になります。フランスに行っても、今やそんなレストランは珍しいと思います。

僕の事を知っている方なら、お分かりになると思いますが、僕はスタッフを分け隔て無く、良く怒ります(笑)

23歳の頃から、フランス料理店の責任者をやって来て、人の上にたって、仕事をして来ました。未熟な僕のせいで多くのスタッフが辞めていきました。

そりゃー怒らず、楽しく、和気あいあいとやった方が楽しいし、、、、、

言っても分かんない奴は、話す事すら、しない方が楽です。

その昔、オーグーの岡部さんに、、、
【若い時は、先輩達に、いつも理不尽に常に怒られて、先輩達は楽している様に思っていても、自分が真剣に働いていれば、人の上にたった時に、その先輩の気持ちが分かるよ!そして、経営者になった時に、さらに大変さが分かるよ!】

って言われたのを、最近良く思い出します。僕の場合は、お店における、下っ端と呼ばれる位置を経験した期間が短かったのですが、何も知らない下っ端時代に、先輩やオーナーの悪口を言っていたのが、今思えば、とっても楽だった様に思います。

あと、岡部さんが、【サービスは最高のアナログ】って言っていた事が、今では良く分かります。いつか、名刺の肩書きに、ギャルソンって僕も書ける様になろうと思います。

素晴らしいレストランは、 お店のスタッフ全員が同じ方向を向いていないと、満席が続くレストランは出来ないという事を、今迄働いてきたお店での経験上感じております。

また、結果として僕が働いて来たレストランは、僕がいた時期は必ず満席でした。

良いレストランには、素晴らしい空気が流れ、素晴らしいスタッフと素晴らしい料理、ワイン、素晴らしいお客様が集まり、みんなに愛されるレストランになると思います。

そんな、みんなに愛されるレストランを作るのは、とても大変な事だと、毎日痛感させられております。

そんな、みんなに愛されるレストランを、これからも目指して行こうと思いますし、新人パパとしては、自分の子供には、教養はもちろん大切だと思いますが、それ以上に感受性の豊かな子供に育って貰いたいと、勝手ながら思います。

1つの点がいつか繋がり、大きな線になり、その繋がりが、人生に様々な出会いをもたらせてくれる。

これからも、人としてもっと、もっと大きな点を作れる様に、様々な事にチャレンジしていきたいと思います。

ブログによく書く、ハンティングは、、、、、、

僕にとって6年目の猟期が、2月15日で終猟しました。

「6年もハンティングやっていると、もうベテランだろう?」

などと狩猟の事を知らない人から尋ねられたりしましたが、まだまだヒヨッコであることは自分が重々分かっています。

マノワの定休日は、月曜日で、基本的に休みの月曜日しか出猟できません。

それに対して、ハンティングを教えていただいている、ベテランハンターの方々は、キャリアが30〜40年以上ある上に、定年退職などで「さぁ、気兼ねなく山を駆け回るぞ!」と、毎日のように出猟されている方々ばかりなのです。

僕の方が年齢的に体力はあると言えど経験値は低いし、差は開く一方と言えます。

それに毎日のように、狩猟犬と出猟されている、先輩ハンターの方々の方が体力もありそうだし・・・(笑)。

猟期の休みの日は、ほぼすべて出猟。

ゆっくりと休む暇もなく、平日は仕事をし、家の用事は片付けられないまま山積(妻には申し訳無く思っております。)

そのうち息子が大きくなったら、【おじちゃんまた来てね!】って言われる様になるんじゃないか?と思います(笑)

同じ年頃の人々が、ネオン煌びやかな夜の繁華街に繰り出して行くのを横目に、たまに光の浴びる山に行ったかと思えば汗と泥と血にまみれる生活。

一般の方から見ると不可解な事なのかもしれません。

しかし「それで幸せなの?」と聞かれれば、胸を張って、、、、、

「幸せです!」と答えます。

だって38歳になって、こんなに夢中になれることが、まだまだたくさんあって、世代を超えたたくさんの仲間達がいる事がかけがえの無い、贅沢の様に思います。

それにもう一つ「良かった」と思うことがあります。

先に述べたように、38歳で、6年経験しただけなんて、ハンターとしてヒヨッコです。

また、フランス料理の世界では、20歳に代官山のラブレーの、山田さんに拾って貰ってから、東京のフランス料理店のみの、サービスをやって来て、18年になります。

世間一般では「高齢者」と言われるような方々が、バリバリと現役で山を駆け回り、たくさんの知恵と経験を授けていただけます。

また、ラブレーの山田さん始め、フランス料理業界の先輩や、仲間達から、毎日刺激を貰っています。

そして、20歳の頃から、フランス料理店にお越し頂いている、お客様には、息子の様に可愛がって頂いている方も多くいらっしゃり、、、、、、

今ではもう飲めないワインや、フランス料理を、惜しげも無く20歳の頃から勉強させて頂きました。

「人間力」という言葉が自然と浮かんできます。

僕達が、社会生活を暮らす上で、触れ合う数人の「肩書き」というものなんかに頼り切って、威張り散らしている人たち。

この人たち、「肩書き」というものがなくなったらどうなるんだろう?

山を歩き、野生動物と対峙し、先達から教えを乞う。
そんな事をしていると生命体としての、自分の小ささや弱さを考えずにはいられません。

経営者になっても、気持ちは、「一兵卒として頑張ろう!」って思います。

毎年、新人が入って来る4月!また新しい4月を迎え、、、、、、

フランス料理の仕事やってて良かった!って感じる、今日この頃です。

最後に、、、、、

このブログを読んで頂いている、多くの新人達や専門学校生に、、、、

僕は、山梨県の田舎から、高校を卒業して、東京の国立にある、辻調理師専門学校に行き、その後、辻調理師専門学校のフランス校に行き、代官山のラブレーに就職し、フランス料理界に入りました。

マノワにも明日から、辻調理師専門学校の卒業生が入社致します。

今は、未来に向けて、夢いっぱい持って、やる気に満ちて、就職するはずです。

しかしながら、厳しいお話、あなた方が、思い描いている、世界はそんなに甘い世界ではありません。マノワでは、スタッフが長続きしておりますが、、、、、

ゴールデンウィークまでに、同じフランス料理業界に入った、半分の同期が辞めていきます。

もちろん、僕らだけの業界に限った事ではありませんが、現実のお話しです。

新しい環境に入って、生活も変わり、毎日、先輩に怒られ、帰ったら、寝るだけ!いつの日か、入社時に思い描いていた、夢や希望を、自分に都合の良い方向に解釈し、最終的には、違う世界に行く若者も少なくありません。

マノワでは、辞めたいって言うスタッフを止めはしません。若ければ、若いほど、無限の未来の可能性がありますし、大学を受けて、違う職業に就いた方が、未来で幸せになっているかも?しれません。

お世辞抜きにして、辻調理師専門学校の授業費はすこぶる高いです。僕は3人兄弟なのですが、公立の大学を卒業した、兄弟より、授業費は高かったと思います。

辻調理師専門学校に通っていた当初から、フランスには行きたかったので、八王子の方にある有名和食店の、3人部屋の寮に入り、昼間は学校、夜は和食店、休みの日も和食店で働き、辻調の学費を少しづつ両親に返還してました(全く足りませんが、、、)

その後行ったフランス校は、今振り返っても、天国の様な環境でしたが、東京に戻って来て入ったフランス料理業界では、何度も辞めようと思ったもんです。

ただ、僕の場合、フランス料理を目指す上で、高校時代から、自分で決めた目標がありました。

【30歳までに、自分の実力で、東京でフランス料理店を独立する】

と言う事でした。何のコネも無ければ、両親がお金持ちでも無く、ただ、この目標に向けて誰にも負けない自信だけしかありませんでした。

辞めたいって思うたびに、この目標と、辻調理師専門学校の学費を出してくれた両親の顔が常に思い浮かびました。

1人暮らしを始めて、冷蔵庫の中の食材は、誰かが買わないと入って無いんだな?って言う当たり前の事から、親への感謝の気持ちを感じるはずです。

僕は今だに、両親に辻調時代の学費を、ちょっとづつ、返還してますが、フランス料理の仕事をして、自分で稼いだお金で、辻調の学費を払う事が、いかに大変か、そのうち気がつくでしょう!

僕は、代官山のラブレーの山田さんに初めに言われた言葉があります。

【山本有三の路傍の石にもある様に、石の上にも3年だぞ!】と言う事!

先程もお話しましたが、1番初めに入ったお店で、少なくとも3年続かないと、この業界では続けて行けないと思います。まして、ゴールデンウィークまでも続かないのであれば、親に謝って、違う職業を探した方が良いと思います。

また、3年続いても、また、違う壁にぶつかります。その辺の話はまた今度話すとして、、、、

自分が入社時に思い描いていた、未来を忘れずに、常に人材不足のフランス料理業界を盛り上げて行って欲しいと思います。

東京には、田舎にいるより、若いうちには、とくに、多くの点が落ちています。ただ、その点に気付けるのは、自分自身の人間力次第だと思います。

新人の皆さんには、今、この時点がであり、この点はいつか大きな点に繋がると思います。

長文ご愛読頂き、ありがとうございました。

これからも、レストラン マノワを、末永く宜しくお願い致します。
っあ、ちなみに、マノワでは、常にやる気のあるスタッフを募集しております(笑)
posted by マノワ at 15:06| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする